アドラー心理学の日常での実践②

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一流の50代を生きる!

①劣等感?気にしなくていいんだよ!!

誰もが持つ劣等感!!

・学歴が無いから成功しない!

・スペックが悪いからモテない!

・お金が無いから金持ちになれない!

・裕福な家庭に育ってればこんな風にならなかった!

等たくさんの劣等感にさいなまれて生きていませんか?理想に到達できていない自分に対して、まるで自分が劣っているかのような錯覚を抱くものです。

自らの劣等感を取り除くべく、より自分を前進させるために現実的な努力をして、現状に満足することなく一歩でも前に進もうとする、もっと幸せになろうとすることが劣等感の使い方です。

私の場合、劣等感の塊です。その劣等感をぶちのめすために、苦手意識のある、ITへ【ブログ・SNS発信】への参加、PCスキル向上、試験学習、読書、毎日のルーティーン等日々に落とし込んで実践しています。おかげさまで幸せを感じる毎日です。

劣等感?気にしなくていいんです。乗り越えるものなんです。是非、50代からの成長ぶりをご覧くださいませ!(笑)

②人生のタスクの乗り越え方

人生のタスク?そんなの考えたことあります?

人生のタスクって一体何なのでしょう?

①自立すること

②社会と調和して暮らせること

③私には能力があるという意識

④人々は私の仲間であるという意識

①~④は人生そのものなのです。この世に生まれてから親元で成長し、やがて親から独立【自立】するときがきます。そして、社会に出て仕事をしなければなりません。社会と調和しなければ仕事も成り立ちません。人々と協力し、自分の能力を最大限に使い社会に奉仕していくこと。。。まさに人生そのものだと思いませんか?

必ず、人生において人とのかかわりなしに生きていくことはできません。一番核になるのは、対人関係になります。その場限りの表面的な付き合いから親友と呼べる関係まで幅広く対人関係にはおよびます。その関係性の中で、相手を変えるのではなく自分自身を変えていくと、他者も変わるという考えたがアドラー心理学なのです。まずは、他者を変えたければ、自分が変わることです。例えば、急に横から車が割り込んできた時、あなたは、コノヤローあぶないじゃないか?って言ったりしませんか?そんなことを言っても無謀運転者の相手には伝わらないのです。つまり、無駄な言葉なんですね!おまけに周りにいる同乗者は、あなたが気が短い人なんだ!とか器の小さい人なんだ!とか評価します。自分にとって良いことはないのです。まずは自分がかわり、例えば、事故らなくてよかった!とか、かわいそうに!とか言う方が周りの評価は、前者にくらべ変わりませんか?自分が変わることです!!

③承認欲求の否定と課題の分離

人は、幼いころから良いことをすると褒められて、不適切なことをすると叱られる。そのように生きてきたと思います。たとえば、廊下にゴミが落ちていたとする。人が見ているとそのごみを拾い、拾うのを見ている人はあなたを高く評価する。しかし、誰も見ていなければ、そのごみを拾う必要は無い!誰にも評価されない無駄な事と考えるからだ!本来は人がみていようとみていなくてもごみを拾い美化に努めるべきなのです。

つまり、他者目線でいうと、廊下にゴミが落ちているのを見て、そのごみを拾う人か?どうか?をみているのです。そういう目線で他者がどのようにみているのか?を気にして、他者の期待を満たすために生きているのではないのです。

・課題の分離について、例えば、

勉強するという課題について、子供が勉強するのか?しないのか?は子供の課題です。親が代わりに勉強して、テストを受けるわけではありませんので親の課題ではありません。では?子供に勉強をさせるのは親の課題ではないのでしょうか?課題の見つけ方はシンプルで、その選択によってもたらされる結末を最終的に誰が引き受けるのか?ということです。つまり、勉強しなくて困るのは子供本人なのです。だから親の課題ではないのです。対人関係のトラブルを未然に防ぐには、これは、誰の課題なのか?を自分の課題、他人の課題とを分離していく必要があり、他者の課題に土足で踏み込むこと、自分の課題に踏み込まれることでトラブルが生じるのです。ですから、それぞれの課題が理解できれば、他人の課題に踏み込まないし、踏み込まれないので、もめごとやトラブルが回避できるのです。

馬を水辺に連れていくことはできるけど【自分の課題】、水を飲ますことはできない【他者の課題】!

自分を変えることができるのは、自分のみしかいません。

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