本日は祖父のお話をしようと思います。
今年100歳の誕生日を迎えまだ、少し忘れやすくはなっていますが、しっかりしています。あまり、過去の経歴をお話することはほぼ無い私ですが、祖父の事に関してはものすごく尊敬する祖父なので、100歳という節目にお話しをしたいと思います。
祖父は幼少期、夢をもって家族と共に新天地でより良い暮らしを求め、第二次世界大戦前満州へ渡り移住したそうです。満州での暮らしは相当良い暮らしだったそうです。当時の戦勝国の利益なのでしょう!当時ではかんがえられない、スケートや乗馬など、食事も豪華で、自宅も庭付きで、家の世話をする使用人が複数人いたそうです。そんな最中、国は第二次世界大戦に突入し、祖父は、大学へ通うために日本へ帰国し、勉学に励むこととなり、日本の戦況が悪くなると学徒出陣命令が発布され、祖父も学徒出陣で、しかも、志願特攻隊へ編成されたのです。特攻隊とは、特別攻撃隊の事で、敵へ体当たりをし、自ら人間爆弾となり、敵へ一撃必殺の攻撃方法で、生きて帰ることは無い作戦です。
祖父は、家族を敵から守る為、故郷を守る為、国家を守る為、自ら志願し、特攻を選択したそうです。己の命をささげることで家族を守れるなら。。。。と。。。【戦時教育とはそういう教育】
鳥取か島根の特攻の訓練基地へ着任し、訓練を重ねて、操縦に自信がついたのに、なかなか合格点をくれなかったそうです。【永遠のゼロの宮部さんみたいな教官で若者を次世代に残そうと考えた士官がいたそうです】日本の敗戦が濃厚になり、無駄死にしていく若者たちを見送ることが本当に苦しかったのでしょう!祖父は、本気で日本の為に、特攻で逝ってやる!と信じて疑わなかったそうです。合格していったほかの部隊の戦友は靖国で再会しよう!と鹿児島知覧へ先に旅立つのを見送ったそうです。
訓練の最中、終戦を迎え、日本が敗戦国になり、祖父は本当に悔しい思いをしたそうです。あらゆるものが無い中、日本は好きなように扱われ、今の人に言えないことが多いと言っていました。それほどの恥辱を受けたのだと思います。生き残ったことで、自分に何ができるのか?と日本の為に何ができるのか?と考え、必死で働いたそうです。経済で今度は世界を獲ろうと考え、武器を戦闘機から資本に換え闘いに挑んだそうです。誰よりも、勉強し、誰よりも我慢し、誰よりも気さくに世界を相手にビジネスをした結果大企業の運送会社の常務にまで上り詰めた祖父です。そんな私が尊敬する祖父も今年100歳きっと戦争で先に逝った仲間も祝福してくれていると思います。
私もまだまだこれから。。。と息巻いて祖父のように生きた証を残していきたいと思います。